子育てアパブロ トップ

2007年6月28日 (木)

see you をカタカナで書くと

 

いやあ・・・

 

ほんとに残念ですが

 

「マルいハートでアタマもマルく」は

6月末をもって一旦終了

 

(えっ)

 

ということでこの「子育てアパブロ」も

一旦終了ということになりました。

 

(えっ)

 

今まで6ヶ月間ありがとうございました。

 

(えっ)

 

↑これらの、えっというのは涙の音ですね。

 

 

ブログをつづる中で

さまざまなブログを見たり

メッセージを頂いたりするなかで

いろんな方の考えに触れ

今まで気がつかなかったことに気がつき

目が開かれる思いがしました。

 

こどもの育ちには実にいろいろな関わりをされて

いる方がいらっしゃるものですね。

 

あのブログのあの方はいまどうしているかな?

あのメッセージを下さった方はどうしているだろう?

なとど想いを馳せたりなどするのが楽しかったことです。

 

本当に長らく有難うございました。

 
 

最後に

あんまり関係ありませんが

先日夜の電車の中で見かけた小学生のスケッチを添付します。

Img_447539_2727991_0_2

もっと関係ありませんが

ニフティのアバウトミーというサービスを作った

担当akiraくんの似顔絵を添付します。

Img_447539_1746069_0_2

アバウトミーでも「ずっとこ」という名前で

登録しているのでもしおヒマでしたら一度検索して

みてください。

 

ではまたどこかでお会いしましょう。

シーユー。

 
see you ってカタカナで書くとしょうゆみたいですね。

2007年6月25日 (月)

教えない教育

不安なときは、どうしても教えることが先行してしまい、聞くという行為があることすら忘れてしまう。人間関係の中で一番自信のある行為は聞くということ、自信のある人はよく人に問いかける人ではないでしょうか。ですから、聞くためには、伝えたいものがしっかりとあること、必死に伝えたいことがあることがかなり大事な要素であると思います。そして、言葉というものは心にのっかって出てきますから安心のないところで、心からの声を聞くことはできないのです。(学びのアトリエ日記:インタビューで教育改革 より)

 

上記記事の中に「教えない教育ネットワーク」というのが出てくるけれど、これは「知識を教えない教育」と言い換えることができるのではないかと思う。

自分の考えを押し付けるために話をするのではなく相手の状況をよく理解したうえで、対象のケースにもっとも有効な解決策を対話をしながら創り出してゆくこと。

最近、企業内研修でも「傾聴」などといって対面での応答において「聞くこと」の重要性が強調されることが多い。書店のビジネスコーナーでは「コーチング」といったところがそれに該当しそうだ。

古くはアルキメデスかプラトンか誰かも対話を重要視していたような。対話によってお互いの知恵や知識を交換しながら、新しい知恵や知識をつくって行くのが対話主義。「自分の考えが必ずしも正しいとは限らない」という立場というか認識が前提となっていたはず。

最近ではいわゆるWeb2.0というキーワードの中でも企業と消費者との対話などといった構図で「対話」がクローズアップされている。ネットでももっと対話主義らしいコミュニティを創りだしたいものだ。主張の張り合いではなく聞き合いの対話ができるコミュニティ。

  
親という立場でも、子供と接するちょっとした会話の中でそんなふうに話をしたいものだと思う。

2007年6月22日 (金)

<回答>マルいハートやマルいアタマを育てるために大切なコト

私はちょっと頭のカタチが後頭部ゼッペキ系なので

自分の子供が赤ん坊のころはドーナツ枕をあてがって

格好のいいマルい頭になるように気をつけていました。

 

ドーナツ枕が効いたのかどうかは本当のところは

よくわかりませんが、おかげでちょっとはましな頭の

カタチに子供たちは育ってきているようです。

 

まだやわらかいころにどんな風しておくかで

カタチは決まってくるのかなと思います。

逆に大人になってから変えようとすると

削ったり・入れたり・・・

方法はなくはないですがかなりムズカシそう。

 

ハートや頭の中身についても、まだやわらかいうちに

ハートのドーナツ枕、頭の中身のドーナツ枕

を用意してやることがが親の務めであり

喜びでもあるなと思うことです。

手つなぎ棒

平成19年6月4日付で発表された総務省の

コミュニティ研究会 中間とりまとめ

を読んでいたら末尾の挿絵がなかなか個性的だったので

つい画面をキャプチャーしてしまった。

個人的に「手つなぎ棒」と命名。

Photo_1

資料本体 の第5の1に

「地域コミュニティの教育活動・子育て」

という項目があってこんなことが書かれていた。

大人だけで地域コミュニティづくりを進めようと考えても、うまくいかないケースがある。このような場合に、「子どもが集まれば親も集まる」という形で、子供をきっかけとして大人が集まり地域コミュニティ活動が生まれることもある。

(中略)

子供を地域コミュニティ活動のきっかけとしてとらえるだけではなく、子供自身が地域活動に参加する権利がある、という視点も必要である。(コミュニティ研究会 中間とりまとめ より)

 

そういえば近所の公園で定期的に練習をしている少年野球チームは実は大人の地域コミュニティの核になっているようなところがある。この間チームの親と子供がそろって公園のブドウ棚の下でバーベキューを楽しんでいたが、子供だけでなく親同士の交流で盛り上がっていたようだ。

 

しかし、子供自身が地域活動に参加する権利というと何のことを指しているのだろう?

 

夏に

「(近所の公園の)お祭りに行きたいよお~」

とねだられたら(ねだられる前からだが)

連れてって、屋台でわたあめを買ったりしてやるけれど

どうもそういったことではないんだろうなたぶん。

 

2007年6月21日 (木)

待つ我慢

やっと2つの条件にあった塾がみつかり、なぜか??娘は楽しく通っています。中学受験の大変さが分かっていないのか??

母はもう倒れそうです。その毎週ごとの成績の悪さに落ち込んでいます。でも、彼女はどこ吹く風。


大丈夫。今度がんばるからね~」とマイペース。


聞けば、どこでも母親と一緒に勉強しているようで、任せているのは我が家ぐらいのようです。


私も参戦したいのですが、ひとりで最後までやると言っているし、塾の先生にも相談したのですが、彼女の意志を尊重しましょうということで、母はひとり、待つ我慢を強いられています。しょぼん


この待つことがこんなに大変とは知りませんでした。(中学受験は大変|滝桜咲く ~のんびりママの中学受験日記~ より)

 

いいお母さんだまあ。

 

「何やってんのモウ!」

とずかずか参戦してしまうのを

抑えることができないケースは多いのではないか。

 

こういう見守り方ができるお母さんのいるおうちは

日がいっぱい当たっている植木鉢のような感じ

なのではないかななどど思う。

人んちの前であーそーぼーと叫ぶ

3年前の一斗缶で缶ぽっくりの記事を見て、いっしょにいろんな缶ぽっくりを作りませんかとメールがきたのだ。インターネットを通じて知らない人から「あーそーぼー」と声をかけられたのだ(そういえば最近そうやって人んちの前で叫んでる子どもいませんね)。(@nifty:デイリーポータルZ:缶ぽっくりに最適な缶はどれだ より)

 

そういえば小学生のころ人んちの前で

「○○くんあーそーぼ」とよく叫んでいたものたっだ。

 

相手がアパート4階に住んでたりすると

ベランダに向かって絶叫することになる。

すると

「○○はもう公園に遊びにいっちゃってるよー」

なんておばさんが出てきて叫び返されたりする。

 

確かに最近人んちの前であーそーぼーと叫ぶ

という子供を見かけたことが無い。

 

子供の数が少なくなったから?

 

あるいは

 

最近の小学生は携帯で

あーそーぼー

とメールしてからあそんでいるのか。

 

今度近所の小学生に聞いてみよう。 

 

 

 

2007年6月20日 (水)

うちの子にいい塾、悪い塾

プレジデントFamily2007年8月号の特集トップは

「うちの子にいい塾、悪い塾」

 

↑同雑誌WEBページに、「超縮小版」

というのが公開されていたので見てみると・・・

面白いほどに本文が読めない。

 

今月のピックアップというコーナーで

教育評論家の小宮山博仁さんの文の冒頭が

紹介されていたので目を通してみると

至極まっとうなことが書かれているようす。

 

 

編集後記がちょっと面白かった↓。

▼「東大生の塾の費用」の記事の取材で、5月の大型連休前後に東大生13人に会いました。そのうち8人は入学して1カ月たらずの新入生。彼らの“完成したての合格体験話”についつい引き込まれてしまいました。
 その中の一人がひととおり高校時代を振り返った後に、「受験のことばかり考えていたわけではなくて、恋愛や友人との関係が一番たいせつだった」と照れながら言ったのが心に残りました。この言葉だけで彼がいい高校生活を過ごしたことがわかった気がします。

 弊誌ではこれまでにもいくつか東大生にスポットをあてた記事がありますが、次回は「東大生の恋愛」というテーマも面白いかもと思いました。(編集後記|2007年8月号|プレジデントファミリー より)

 

「東大生の恋愛」。

受験生活を勉強一色ですり減らし

ろくに交友も恋愛もしなかったひとたちが

嫉妬買いしそう。

2007年6月19日 (火)

ニューヨークに塾はあるか

ニューヨークには日本人向けの日本法人の

塾ならちらほらとあるようだけれど

現地人向けの塾というのは無い様子。

 

この間学生時代の友人と久しぶりに飲んだときに

NY帰りが3人ほどいたので聴いてみたらどうやら

そんなことらしかった。

 

「日本に帰ってきてみて驚いたのが

小学校2年生でカタカナ勉強しているんだよ。

向こうでは娘は、昆虫の体の仕組みとかの

レポートの宿題を毎日泣きながらやってたんだけど」

 

お父さんの帰りが向こうでは早かったそうで

結構手伝ってあげてたらしい。

 

充実した学校の勉強や宿題を

会社から帰ってきたお父さんが

見てあげたりしている。

これいいなあ。 

これがニューヨークで一般的かどうか

というのはおいておくとして。

 

とはいっても、

日本での財閥にあたる上流階級は

塾ではないが家庭教師がついてるという。

 

そこでは日本とは比べものにならないほど

大量資本が投下された激しい学歴競争があるらしい。

2007年6月18日 (月)

パムとケロのおうち

皆、勝手口から~開いているドアから~
家の中に入ってくるのだ。

蚊じゃあるまいし・・・。

ある日は私がトイレに入っていたら、隣のおばぁさんが風通しのため開けておいたドアから進入。

「だれか、いないのかぃ?」

「ここだよ!」(トイレの中から答える)

「あ~、野菜おいとくねぇ~♪」

自宅のトイレなのに、安心して入れない

中学受験 ゼロからの出発 やる気を削ぐ理由 より)

 

パムとケロのおうちみたいなおうちらしいが

人もオープンな感じでうらやましい。

 

地震など緊急時にはこうした普段のご近所とのつきあいが生きてくる。

大事なところだ。

 

上記ブログでは

子供が勉強中に割り込みを受けてしまい困る

と書かれていたけれど

かえって集中力が養われて良いのではないだろうか。

 

子供は子供部屋ではなくリビングやキッチンのテーブルで

勉強させたほうがよいという考え方をするひともいる。

家内のいとこが設計士でそんな考えのひとだった。

彼に我が家の設計を頼んだ結果、ウチの子供は

 

ダイニングテーブルで宿題をやる

 

というデザインになっている。

  

子供部屋にできるだけ居座らせないようにするため

できるだけ狭く間取りをとったら寝台車や物置のようになり

それじゃあんまりだと家内の父がなぜかモノ申して

ほんのすこしだけ子供部屋が広くなった。

 

でも本気でダイニングで勉強させようとしたら

将来はそうとうでかいテーブルを買わないとなあ。

2007年6月17日 (日)

中学受験を選んだ理由

「みんなと一緒に○中(近所の公立中学)に行きたいな~」

うっ・・・・・・。

覚悟していたとはいえ、かなりの衝撃。

いえ、地域の公立中学に特別不満があるわけじゃないんですが(現に我が家の第2志望校は公立中学)副教科の苦手な息子に高校受験は不利じゃないかと。

中学受験と高校受験の違いや森のなか中と○中の違いを話して最終的には、

「やっぱり森のなか中学校に行きたい」

となったのですが、息子が中学受験を選んだ大きな理由はおそらく塾をやめたくないからだと思われます・・・。

そんなに塾って楽しいのかな。(めざせ、森のなか中学校!: 公立中学に行きたいの!? より)

 

「塾をやめたくないから」中学受験する。

なんだか逆立ちしているみたいだけれど

そんな理由もあるのかあ。

  

先生が好きとか

塾の友達が好きとか

いろいろあるかもしれないけれど

「自分が成長するのが楽しい」

ということを実感させてくれるから

とか、そんなところじゃないだろうか。

 

自分を振り返ると塾帰りに駅で自動販売機の

ジュースを飲むのも塾通いの一番の楽しみの

ひとつだったけれど。

2007年6月16日 (土)

子供の成績の格差を生み出しているもの

著者は、家族一緒に夕飯を食べることや一緒に会話を楽しむこと、家族で旅行に出かけることと成績との因果関係を通して、「生活の質」の格差が階層の固定化を生むと主張している。そして、サービス業の365日、24時間化にともない人が休んでいるときに働く人間が増え、こうした人たちには、いくら国家が「家族を大切にしよう」「子育ては親の責任だ」と声を上げても、そのための時間がないと主張する。

  その上で、「国全体として、夜中働くのをやめるとか、土日はしっかり休むことを徹底しない限り、そういう仕事をしている人は取り残されてしまう。この矛盾を解決しないと、いくら家族や食育の大切さを論じていてもむなしい。子どもの成績の格差を生み出しているのは、実は「収入の格差」だけではなく「生活の質の格差」なのだ」と言っている。ここが肝だ。(八王子市議会議員 両角みのるブログ: 三浦展『格差が遺伝する!』(宝島社新書) より)

 

この間、早起きをすすめる会の東京北社会保険病院の神山潤先生の講演を聴いたときに、”ほんのちょっと”だけ似た話がでてきたのを思い出した。

夜しっかり眠ることと成績の相関を示してから、結局「ひとりひとりのお父さんたちが意識を変えなければダメ。深夜長時間残業を美徳とする労働感がまわりまわって子供の睡眠リズムを崩している」と。

意識のツボを突かれてハッとしてしまった。

毎日子供と一緒に夕食をとる生活ができたらいいのだが・・・。

 

2007年6月15日 (金)

受験の神様、受験のシンデレラ

「受験の神様」といえば「菅原道真」かと思ったら

グーグルで検索してトップに出たのは

2007年7月スタートの日テレ系ドラマだった。

 

父子家庭の父が息子の中学受験のために

ありとあらゆる努力をするという物語らしい。

 

「受験の神様」といわれる凄腕家庭教師

というのが実は中学3年の女の子。

 

「私に家庭教師を頼みたいなら、ここで土下座して下さい」

なんて言ったりする。

 

受験の神様公式サイト を見ると

今首都圏の小学6年生の6人に1人が中学受験する

と書かれていたりする。

 

へえ。

  

かとおもうと

「受験のシンデレラ」

というのも発見。

こちらは2008年公開予定の映画。

 

高校中退の貧しい少女が

余命僅かのカリスマ塾講師に出会い

東大受験を目指すという話。

受験版あしたのジョー。

  

ふうん。

 

今回の感想は

へえ。

ふうん。

だけ。

 

へえとかふうんとか言っているだけだと

すごくラクだ。

 

 

 

 

2007年6月14日 (木)

水曜日の小学生たち

友達と一緒にダラダラ走っていく子たち。

どこかに向かって急いで走っていく子たち。

たむろして道路わきに座り込んでいる子たち。





なんか胸がチクチクする。




そうなんだ。

水曜日って、子ども達はこんな時間を過ごしてるんだ。

週の合間、友達といつもより長く遊べる日なんだ。








家にひとり居るデコポンを想う。


今頃、一心に机に向かっているんだろうか・・・

(邪念もあるだろうなσ(^_^;)


デコポンには、どんな未来が待っているんだろう・・・

水曜日には・・・|されど中学受験・・・。 より)

 

 

祈るような気持ちで子供を応援するお母さんの想いがピュアーーに書かれてる↑。

こういうブログを読んでいるとこちらも祈るような気持ちになってしまう。

 

このデコポンのママのブログ↑に寄せられたコメントに

「受験を経験する子は、まわりの子たちより、ちょっぴり早めに大人になっているような気がするね」

とあった。

 

確かにそうかもしれない。

 

早めに大人になる子供・・・。

 

  

早めに大人になる子供というと思い出すのが、

イタリアのクラッシック映画の「自転車泥棒」。

 

自転車泥棒で捕まった貧しいパパを子供が泣いてかばう。

 

映画の話だけれどそんなケースに置かれた子供も

かなり早めに大人になりそうだ。

2007年6月13日 (水)

日本的な大人

聾の方のひとりが「日本語には遠まわしな言い方があるけど、これがわかりにくくて」とおっしゃると、その場にいた外国人の方が全員「そうそう」と強く同意されたのもおもしろかった。たとえば中国の方は日本でアルバイトをした経験があるそうだが、しばらくして、お店の人から「この仕事は○○さんにはむずかしいかもしれませんね」と言われたので、「がんばります」と答えた。するとまた「むずかしいですね」と言われるので「がんばります」と答える。何度かこのやりとりをして、ようやく、相手が自分に「やめてほしい」と思っているのだ、とわかった、と言う。日本人ははっきりと「やめてください」とは言わないのだ。(じゃりんこのコーヒータイム: 多文化共生 より)

 

いわゆる日本のオトナの資格のひとつにこの遠まわしな表現に精通しているかどうかというのがあると思う。

いやですと言わずに断るとか、辞めてくださいとは言わずに辞めていただくとか。

やさしいんだか非情なんだかよくわからないグレイゾーン。

そういう日本でも子供の世界ではそんな遠まわしな表現はない。

子供と接していると遠まわしな気遣いがないところがいいなあと思う。

日本の中でも江戸っ子は遠まわしな表現より直截的な表現が似合っていそうだ。

それは江戸っ子がほんのちょっと子供だからだろうか。

2007年6月12日 (火)

いよっ早いね!

朝駅に向かう途中で通り過ぎると

「いよっ早いね!」

などと声をかけてくる一人の中学生がいる。

「おおおいいねええ!」

だったり

「おう!」

だったり。

私だけでなくいろんな人に声をかけているようだ。

何も返答しない人もいなくはないが

きちんと返事をするひともけっこういる。

彼が通る朝の道は挨拶が盛んだ。

 

そういえばニューシネマパラダイスにこんなキャラクタがいたなあ。

 

彼の通う特殊学校の前には通常の公立中学校があるが

雰囲気が良いために遠くの学区から生徒が集まっているらしい。

2007年6月11日 (月)

障害と母

しかし、元々認識しないことに対して不自由を感じないように、視覚障害者は見えない、ということに対して(私の目から見て)大したコンプレックスは持っていないように感じました。皆さん、とにかく明るい。

もちろん、その人の性格でインキな方もいらっしゃいますが、私が思い描いていたイメージとは全く違い、楽しい雰囲気のクラスになります。
余談ですが、クラスで隅田川の花見に行こう、という話が出た時、ある御婦人から(もちろん目は見えない)「隅田川の花見なんて人を見に行くようなものだ、止めた方が良い」といわれました。思わず笑ってしまいましたが。

たぶん、視覚障害のある方のご両親はさぞや子育てで苦労なされたろうと思います。自分だったらどうだろう?と考えますが、ここまで立派に子供を自立(自分で何でも出来る)させることが出来るだろうか?育てられるだろうか?と思いました。
昨今の親御さんは、何か勘違いして子育てをしているような方が多く見受けられますが、子供をきちんと社会に適応できるように育てるための基本的なこと、自立するということを、障害を持つ子供さんを育てた両親をちょっと見習うといいんじゃなかと思ったりもします。(明日はきっともっと上手くなる: 過去ログ2:視覚障害クラスその1〜5 より)

 

最近障害についてかかれたブログが目に留まる。

この間、脊髄に障害を持つお子さんをもつお母さんと会話したせいだろうか。

そのお母さんは子供の病院に足しげく通う生活を送っている。

金銭的にも厳しい環境らしい。

 

あれこれ考えていたら想いがあちこちに転がっていってしまう。

母親というのはありがたいものだなといったたぐいのことをぼんやりと考えていた。

 

うまく言葉ででてこないぞ。

こんなに引用したのに本文が少なすぎ。

2007年6月10日 (日)

人生の転機

人生の転機というのを

ふと、なんだろう?と思って・・・
と、ゆうのも、たぶん、ダーリンの転職の様子を見ているから考えてしまうんだろうけど・・・。

私にとっての転機と言えば。。。

中学受験
高校卒業後の進路
上京
就職
結婚
かなぁ~???

2●年間生きて、たった5つなんだ・・・。
でも、どれもこれもそんなに深く悩んだりしてない気がしたり・・・苦笑

===まったりんこな日記=== 人生の転機って・・・ より)

自分の人生の転機といったら何だったのだろうか?

やはり結婚だろうか・・・

書いてしまうと拍子はずれに簡単だ。

 

4月に会社に就職したての新人は転機を過ぎたばかりで

一生懸命生きている。

これもこうして2文程度で書くだけだったら簡単すぎる。

 

中学受験。

書けば4文字程度だけれど

これについてブログで書き表そうとした言葉は

ブログ上に数え切れない。

なんといっても人生の転機だから。 

2007年6月 9日 (土)

竹とんぼ

竹とんぼづくりの講演会があり、子供と竹とんぼ作ってきた。

子供用は厚紙で作るのだけれど、大人は竹をけずって火であぶったりする。

へえ、竹とんぼって火であぶって曲げるのかあなどと驚いたりした。

アルコールランプなどという懐かしいものに火をつけたが小学生のとき以来

のような気がした。

竹とんぼは大して飛ばなかったが子供はたいそう喜んだ。

自分が作ったものが飛ぶ。

よく考えてみたらなかなかロマンチックだ。

技術者のモノづくりの原点ってこんなところで育ったりするのではないかな

竹トンボ以来、子供はよく家で紙飛行機を飛ばすようになった。

2007年6月 8日 (金)

早起きをすすめる会

東京北社会保険病院の神山潤先生の講演を聴いた。

早寝早起きという当たり前とも思えるテーマだったが

思いのほか興味深い内容だった。

その中で紹介されていた子どもの早起きをすすめる会のアドレスが

www.hayaoki.jp

という覚えやすいものだったものでアクセスしたらトップにこんな表示。

「このWEBサイトは、深夜0時から3時までは、閲覧ができませんので、ご了承下さい。」
 
さすが一貫してる。
 
講演で利用されていたパワーポイントがHPにも掲載されてましたがこれ面白いです。
夜ふかしから派生する心身の諸問題

2007年6月 7日 (木)

<回答>学校選びのヒント

一番大切なのは、子供がその学校に望んで憧れることができること、少なくとも、子供の性格と校風がまったく合いそうもないのに親のエゴや見栄で学校を選ばないでほしいということです。(学受験・塾選びと親子でスマイル作戦: 校風について より)

最も大切なのは、親の価値観も非常に大事ですが、子どもがその学校に合うだろうか?ということです。子どもの特長がますます伸びそうな学校を選んでくださいね。子どもが楽しく生き生きと友達と交わり、勉強に取り組んでくれていたら、親は学校に不満をそんなに抱くことはないですから。(とはいえ、入ってみて初めてわかることや、出会いの偶然性だけはどうすることもできませんけれど)(海外・帰国保護者のラウンジ 「ピアーズ関西」 日本人学校出身者の学校選び より)

人気がクチコミで広まるとさらに人気が強まり人気の学校にわれもわれもと押し寄せるということが起こるものだと思う。けれど人気がある学校だからといってそれが子供にあっているとは限らない。人気があるならそれなりの裏づけがあるのだろうとは思うけれど、それとは別に自分の子供に会った学校というのはどこかという視点を大事にしたいと思う。

「格差社会」など子供の将来に不安を掻き立てるようなニュースも多いが、そうしたあおりで一律ならべの基準にやみくもにすがるのではなく、子供の一生を考えて主体的な学校選びをしたい。

2007年6月 6日 (水)

宿題におけるアリとキリギリス

お塾様の説明会のとき、
「宿題はお子さん自身でさせて、お母さんは○つけ、
 あと、間違いなおし、そして○つけ、
 ここまでは口出し無用。自分でさせてください」

との事でしたが、

むーりー!

塾の宿題をせねばならぬ状況に追い込まれると
「あーちゃぁぁん・・・」
片付けも済んで、やれやれという時から、へばりつかれ、
終了は23時とか23時半・・・

24時から、子連れ狼を見ながらアクアブルーをくぴっと飲むのを楽しみに生きてるのに、風呂とか入ってたら、間に合わん・・・

全国の塾通いの小学生のみなさん、
これ、ほんとに一人でやってんの???(塾通いの日記:塾通い より)

僕は子供のころ家で宿題をやらず、学校や塾でやっていた。

あ!っと気がついてから始業直前や休み時間に200%でやる。

ひょっとして家内もそうなんじゃないかと思っていたがやっぱりそう。

あーあ。

この分じゃ子供たちも同じか?

とおもいきや、長男はなんだか律儀にやる派らしい。

この先、少々思いやられる。

宿題手伝って攻撃にされされるのだろうか?

  

「しらんもんね」

 

という態度で、子供自身に考えさせ調べさせるようにしたいところだけれど。

2007年6月 5日 (火)

レインボーマジック

ご存じですか?「レインボーマジック」

今、小学校1〜2年生の女の子の間で大ブレークしているそうです。

7人の虹の妖精たちを探すレイチェルとカースティという2人の女の子の冒険のお話で、「赤の妖精ルビー」「オレンジの妖精アンバー」「黄色の妖精サフラン」・・・と、探す妖精のお話ごとに1冊ずつ分かれていて、全部で7冊シリーズの本になっています。

サーヤがクラスのお友達から教えてもらい、本屋さんに行った時、めずらしく「この本買って」と言い出しました。おそるべし、友達の影響力。(双子日記: 小学生女子の間で流行るもの より)

 

ほう、これはしらなんだが娘の年齢にあっていそうなので早速図書館注文か。

とおもいきやこれは、遊園地のような受動的な楽しみを提供する本だという辛口の書評もある。こちら図書館司書の方のようなので含蓄ふかい。

レインボーマジックはたとえるなら遊園地みたいな本です。

遊園地では、お金を払って乗り物に乗れば、あとは勝手に動いて楽しい思いをさせてくれます。

怖い思いをすることがあっても、ちゃんと安全確認もされているので、心配ありません。

自分で考えて行動する必要なんてありません。(レインボーマジック ちょっと補足 : 今日の見切り発車 より)

 

こういう辛口批評も載っているケースは珍しい。ちょっと変わったインパクトを持った本であるようなので興味がそそられる。まず試しに取り寄せリストに追加しよう。

2007年6月 4日 (月)

子供と過ごす時間

それでもココロのどこかで知っている、ものごとには、取り返しがつくものと、つかないものがある。そして、代替の利くものと、利かないものがある。取り返しがつかないものは、子どもとの時間であり、代替が利かないものは、父親だ、ということにわたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: もしあなたが週60時間以上働いているとすれば、父親として役に立たない。息子が問題をもつようになったら、それはあなたのせいだろう より)

父親としてあまり子供にかまってやれてないかもなあと思うときにはこんな風に思うようにしている。

「でもあの(立派な)人の父親はそれほどかまってくれるようなタイプの父親じゃなかったみたいじゃないか」

父に問題があっても、子が立派に育つことはある。父親そのものが子供にとっても逆境だったとしても、その逆境を乗り越えることで大きく育つことだってあるんじゃないかと。

 

毎朝子供と散歩して絵本を読むことを日課にしているけれど、それは子供を育てるためというよりは子供と過ごす時間が楽しいから。

ひょっとすると自分が「親」としてと同時に「子供」としても過ごすことができるところが楽しいのかもしれない。

最近僕が出勤するときに近くの公園のところまで見送ってくれる。

「ばいばい」

と何度も手を振ってくれるのがうれしい。

2007年6月 3日 (日)

子供とキャンプ

都市生活をしていると闇を知らずにいる。
しかし、キャンプを始めてから、
「真の闇」の怖さを知った。
月明かりや星明りの無い曇った夜、
真の闇が訪れる。(闇夜 - 中学受験とアウトドア より)

GWに長男の友達家族と一緒にキャンプにいったのだけど、設営が大変だったり寒くてよく眠れなかったりしたので、やっぱりアウトドアは自分たちには合わないのかなあなどと家内と話していたが、あれから一月たって都合の悪いことは忘れてしまって、またキャンプに行きたいねなどと話している。

 

そうかそうか闇夜の怖さというのもあるのか。

この方のブログを読むと、とんびにサンドイッチを取られたときに血が飛び散って子供が泣き出したりとかなかなか大変なことがいろいろと・・・。

そうかそうかサンドイッチを食べるときはとんびに気をつけよと・・。

 

そんな非快適で危険な野外生活になぜわざわざ行くのか。

家内いわく、自分で道を作ってゆくところが楽しいと。

うん、そうかもしれない。

あらかじめ用意された道ではなく自分で道を拓いてゆく

それを家族でやるというところも楽しい。

2007年6月 2日 (土)

痛ましくも感動的な、とほうもない人生経験

この本では、女性は生来自然、「母親となりうる」のではなく、さまざまなプロセスを経て「母親になる」のだということを、ユーモアと温かさにあふれるエピソードとともに語られている。私自身、とても共感するところの多い本だった。特に、妊娠・出産・子育てというこの数年の「天変地異」を受け入れる過程の心模様には、何度も頷かされた。(手袋をさがす: 「女性が母親になるとき」 より)

社会的生活って表層的なものだなと思ったのは、家内の出産に立ち会ったとき。

人が生まれるというのはちょっとした出来事だ。

人間が生物であることを実感させられた。

男性はそれを外から見ているだけだけれど

女性は母になることによってそれを身をもって体験する。

母は強しというけれどさもありなんという気にさせられた。

 

子供たちが生まれてからだいぶ時が過ぎ、

出産も遠い昔のようになってしまったが、

日常の社会生活の中でなんだかふとサカサマ感をいだくことがある。

都会的な生活の快適さを追求するなかで自然を抑圧していることが

母の存在を削っているような

おかあさんごめんなさい的な

リリーフランキーの東京タワー的な想いをいだく。

2007年6月 1日 (金)

GWのひみつ旅行

中学受験でガンバル姉にかかりっきりの両親が、GWぐらいは弟にもサービスしてあげようと涙ぐましい努力。↓

「どうしたの?」と息子にたずねたら、幼稚園の友だちが、家族で行楽地に出かけ、楽しそうに話しているのを聞いたらしい。

息子には、普段、我慢させてばかりである。とても、可哀相でいたたまれなくなった。

その夜、夫と相談し、娘が、GW特訓に行っているときに、息子だけでも、どこか連れて行ってあげようということになった。

しかし、このことは、娘には内緒にしなければならないだろう。

自分が、塾で、必死に勉強しているときに、弟が、遊びに行くことを知ったら、きっと暴れるにちがいない。(-"-;A

GW特訓と弟へのフォロー|中学受験回想録 より)

 

弟も大変だ。

ウチの場合であれば兄と妹になるが

でも妹はそんなに気を遣いそうにないなあ。

 

2007年5月31日 (木)

そろばん教室

先日電車に乗っていたら、女子高校生3人組が乗ってきました。

近所の共学校に通う見た目もごく普通の女の子です。

空いていた車内で、彼女たちの会話が何気なく聞こえてきました。

 A 「うちの母さん、もうむかつく~」

 B 「うちもだよぉ~確認テストが大事大事ってさぁ~わかってんのに」

C 「あたしなんか、帰った途端にどうだったって聞くからさ、その前に言ってやったよ」

 A 「だいたいさぁ、自分は何だってんだよね、自分も出来ないくせにさ」

このあたりで、彼女たちはかなりヒートアップして声もかなり大きくなっています。

 B  「そうそう、うちなんかさ、そろばんは出来たとか言い出すんだよ(笑)」

 C  「あの人たちさ、うちらの気持ちなんて全然わかってないよね」

  A  「顔見れば勉強が大事、基礎が大事だってさぁ」

 B 「自分はダラっとしてるくせにさ、だから太るんだよ」

彼女たちの会話はまだまだ続くのですが、中学受験の頃まで振り返り、

延々お母さんの悪口を吐き出していました。(中学受験に寄り添う日々: 子どもの気持ちより)

 

上記悪口で「そろばん」が出てくるけれど、この間、会社の近所でそろばん教室を発見した。

ああ、住宅街の中にそろばん教室のかんばんがたっている。

ひょっとしたらかんばんだけで教室は存在していないのかもしれないけれど。

 

いまそろばん習っていたらちょっとした特技になる。

ちょっと軽率な考えだが、会社の面接や合コンに役立ちそうだ。

純粋にそろばんが好きなのでやっているという人もいるかもしれないが。

 

2007年5月30日 (水)

TDSでVIP体験

そんなこんなで、
3時間、
「私はVIP !?・・・」と勘違いするような待遇。

だから、
「TDSに行くなら、
 プレミアムツアーを使わなきゃ!」ってな感じです。(中学受験  がんばってます: プレミアムツアー より)

TDSは行くとどうも変な感じに疲れてしまって、やっぱり自然の中で散歩するほうがいいよなあと思ってしまうけれど、それは待ち行列に疲れるだけなのかもしれない。

プレミアムツアー。

いいなあ。

けれど一人5000円でしかも宿泊前提(?)か・・・。

やっぱり自分は自然派だなと自覚を新たにしてしまった。

 

でもいいな・・・

 

・・・

 

2007年5月29日 (火)

子供への手紙

子どもたちには絶対に気付かれないように手紙を書いて、事前に先生に預けておいたものを、移動教室初日の夜に、先生が子どもたちに手渡してくれる、というのです。

事前説明会のとき、先生はこんなことをおっしゃっていました。

「私自身も子育ての節目節目に、娘息子に手紙を書いてきました。家族から手紙をもらうというのは、子どもたちにとって格別なものです。手紙を手にしたときパッと輝く子どもたちの顔を思い浮かべながら、手紙を書いてください。くれぐれも気付かれないように!これはサプライズです。」(ママ道: 娘への手紙 より)

最近長女が近所の小学生のお姉ちゃんに手紙を出している。

意味不明な文字プラス、いろんな絵という内容の手紙だ。

朝の散歩のときにひょこひょこと自分で配達する。

郵便受けに投函するときには背が足りないのでだっこをせがむ。

 

近所のおねえちゃんがかなり律儀に返事を返してくれるのでなんだか申し訳なくなってしまう。おねえちゃんの返事の手紙は市販のかわいいデザイン系手紙セットのものらしく、究極のかわいらしさを追求した挿絵が描かれている。

kawaii-nekochan

などといったローマ字が炸裂。

そういえばこういう手紙セットを収集している外国人の友達がいたなあ。

 

子供はときどき母親にも手紙を出しているようだ。

私もときどき手紙を貰っている。

でも返事を出したことがないことに気がついた。

 

今度、絵手紙で返事を書いてやろう。

2007年5月28日 (月)

脳内汚染を読み終え

岡田尊司さんの「脳内汚染」をようやく読み終えた。

ふう。

といってもかなり飛ばし読みだけれど。

 

(子供に対して)メディアの情報を批判的に受け止める訓練が必要と書かれていたが、ブログのような個人情報発信のメディアが広まっている状況では必須だと思う。

でも具体的にメディアの情報を批判的に受け止める訓練って何だろう?

そんな教育プログラムってあるのかな?

公的な教育機関でカリキュラムが用意されてるのかもしれないがブログを提供している情報メディア業側の責務とも考えられそう。 

例えばメディアの情報を批判的に受け止める訓練のゲームを提供するとか・・・。

 

 

映像系メディアだけに限らず本や雑誌や新聞など比較的旧来系のメディアも含め情報メディアすべてにわたって批判的な読み方というのは必要だと思うけれど映像系のメディアは子供でも比較的ポンと受け取ってしまいやすいので特に注意したい。

このあいだ、長男と一緒に近所のDVDレンタルショップにいったら、子供のコーナーすぐ脇で、ホラームービーのプロモーション映像が繰り返し流れていた。

「公開禁止になったほど/ネットメディアで論争が巻き起こったほど恐ろしい映画だ」というナレーション。

 

長男は絵本でもコワめのものは「ホワイホワイ(こわいこわい)」といやがる性質なので、この映像が目に入ったらまずいと思い即座にプロモーション映像を流しているテレビのスイッチをOFFにさせてもらった。(OFFにしてから気がついたが「電源を切らないでください」というテプラがスイッチの横に貼ってあったんだけど)。店のプロモーション担当の人の立場というのもあるだろうけどこども向けコーナーの隣であれはないんじゃないかと思う。

 

 

 

2007年5月27日 (日)

3時半起床

兵庫の明石に住んでた頃、釣りにはまったことがある。

シーバス(スズキ)をルアーで釣る。

というか釣ろうとする。

というのも、朝いって夕方まで

ただ竿を振るだけで何も釣れなこともしょっちゅうなのだ。

 

しかし釣りにはまると平気で朝3時半におきてしまう。

狩猟本能ってあるんだなあ・・・

と思いながらぶるぶると出かけていた。

このぶるぶるというのは寒いからというより

狩モードに入ったことのアラワレ。

 

最近釣りはすっかりご無沙汰だけれど

今日は3時半に目覚めた。

ごろごろしていたら

朝一番早いのは新聞屋さんだな

などと思いつつ

4時半ごろに鳥の声を聴く。

まあこんな面白いなき声の鳥は

こんな時間に聴けるのかといまさら気がつく。

 

どうしてこんなに早くに目がサメタかというと

狩猟本能とかではなく

昨日9時に寝たから。

 

昨日は休日出勤で恐怖のエンドレス会議かと

センセンキョウキョウとして出かけたのだが

なんと7時には帰宅デキタ。

uhyoo!

 

夕方に電車に乗ると、休日というせいもあって

子供や家族の姿をよくみかけた。

お母さんに抱っこされて座っている幼児が

隣に座って微笑みかけるおじいちゃんの

メガネをむしりとったりするのを笑っている。

 

駅から家までの道のりはいつもは暗くで見えないが

川面の光や、開いている店先などが見えて新鮮だった。

 

ここのところ平日あまり寝てなかったので寝だめしようと

9時にねたわけだったが、

すっと朝前に目覚めてしまった。

 

テンプスタッフの社長さんが最近出された本などを

さらさらと読みながら窓の外を見上げると

雲がゆっくりと流れている。

庭の芝生に寝転んで空を見ながら本を読んだが

さっそく季節はやすぎの蚊がやってくるまで

しばらくどこか別の世界に訪れたかのようだった。

 

ここのところあまり子供との時間が取れず

休日も平日疲れでベッタリしていたが

今日はだいぶ有効に過ごせそうだ。

 

2007年5月26日 (土)

子供との時間を創る

先日の新聞に「父親の子育てにおける優先度」の調査結果が掲載されていました。約68%の父親が「仕事などと家事育児を同等に重視(どちらかといえば、も含む)」と希望しているにもかかわらず、現実としては、約79%の父親が「仕事など自分の活動に専念(どちらかといえば、も含む)」となっています。現実と理想のズレが大きすぎます。これは、父親が子どもにかかわりたいと思っていても、長時間労働が大きな要因になり、どうにもならないことを物語っています。

教育基本法に新たに「家庭教育」の条項を加える前に、長時間労働を禁止する法律を作らない限り、「家庭力」の歪はますます強くなると思います。(人とつながる結日記 : 「家庭力」 より)

平日に子供と接することができるのは朝起きてから出勤するまで。

朝起きてから出勤するまでのスケジュールを結構きっちりやっている。

夜は仕事を効率的にこなしてさっさと帰るということをしないと朝かなり眠い。

個人的には長時間労働を禁止する法律がなくても

もっと効率的に仕事をこなせばいいのだが最近どうも遅いなあ。

 

2007年5月25日 (金)

地域での子育て

子育ては、「親と子どもの関係」だけで捉えるべきではないのかもしれません。子育ては、「親と子どもの関係」に加えて、親と子どをとりまく「地域ネットワークの参加のプロセス」と捉えるといいのかもね、そう最近考えています。(東京大学 中原淳研究室  : 教える技術、学びの科学: 抱え込む子育て、ネットワーキングする子育て より)

 

子育て、地域の方々に助けられてる。

 

家内は「家にずっと子供と一緒にいるとキリキリしてしまって」

というようなことをよくいうけれど

友達の家に泊まりに行ったりとか

ご近所の友達が遊びにきたりとか

そんな日はだいぶ気分が楽のようだ。

 

 

子供にとってもいろんな大人のモデルを学びとっていっているのだろうな。

2007年5月24日 (木)

脳内汚染

岡田尊司さんの「脳内汚染」をチョイ読み中。

家内が近所の奥さんから借りてきた。

 

ウチの家内は近所の奥さんともどもゲーム批判派で

「子供はテレビゲーム禁止」(たとえ友達がやってても)を標榜している。

 

「一昔前のマンガ罪悪説みたいで

ちょっとヒステリックすぎないか?」

などといおうものならちょっとした議論が始まってしまう。

 

コロンバインの銃乱射事件の話からはじまるこの本を読み進めてゆくと

問題視されているのはまずは、残虐行為をテレビゲームで繰り返す

ことにより、強化訓練的にモラルの「たが」外しが進んでしまうこと。

しかし、批判の対象はテレビゲームにとどまらずネットコミュニティ

にも向けられている。

ネットコミュニティでも、特に匿名性が確保された場所では

「モラルのたがを外した」言動ができてしまうから。

 

2006年後半ごろにあちこちのブログでこの脳内汚染について

だいぶ盛り上がっていたようだ。

 

ゲームだけではなくインターネットが同一に論じられると、net依存症気味の私としては心穏やかではない。休日は、ひ日がなビール飲んでnetサーフィンをしているが、本書によると早晩『否定的な自己像と現実的課題の回避』や『抑圧傾向と攻撃性、サディズム』の現象が現れそうである。netで検索すると結構ひっかかる.amazonでも賛否両論.ゲームの好きな人は,一言いいたいだろう.専門的な知識が無いのでなんとも云えないが,昔云々されたTVや漫画に対するPTA的な批判をつい思い出してしまう.しかしマァ,バージニア工科大学で起きた銃乱射事件などがあると,妙に納得もしてしまうが(^^;).(e-徒然草:岡田尊司 脳内汚染 より)

 

書評のリンク集を作ってみました。否定・肯定、両方取り上げてあります。結構長いです。(Interdisciplinary: 脳内汚染の書評集め より)

 

 0歳~幼児位の子が当たり前に見ているヒーロー物の番組だって同じだと思います。うちの息子が2歳か3歳になったばかりの頃に「仮面ライダーなんとか」を親戚の家で見てしまいました。映像に慣れていない息子は仮面ライダーが武器として投げたギターが、「悪者」の人間もどきの胸に突き刺さり死んでしまうシーンを見て泣きじゃくりました。そんな姿を見て主人のお義父さんは「○○は意気地なしだなぁ。××(甥っ子)はこんなの見てもへっちゃらだったぞ。」と言っていました。・・・・ん~でもそれって違うんじゃない?うちの息子はテレビ類を見ていないので、生身の人間か絵本の中の人物や写真などを通して成長してきています。そんな生活をしていると、人間が死んでしまったり、傷つけられる場面に出会う事はまずありません。仮面ライダーに出ている全身タイツの悪者だとしても人間の形をしています。そんな人がギターの一撃であっけなく死んでしまう所を見て、恐怖を覚えたり悲しくなったりするのは、2歳や3歳の子供だとしても、とても正常だし心が育っていると思えませんか?(バカな親でも英才教育がしたい!!:「脳内汚染」 より)

 

いまさら読み始めたこの脳内汚染、まだ読みかけだけれど

これだけ書評に目を通してしまうとネタバレみたいで

もう読まなくてもいいかという気にちょっとなってしまいそうだなあ・・・。

 

2007年5月23日 (水)

「ごーん」お寺の鐘のまね

最近長男は朝散歩が大好きだ。

朝5時台に起きだして

「アササンポイコウアササンポイコウ

(朝散歩行こう朝散歩行こう)」

と耳元で要求する。

私は「朝のゴーンが鳴ったら行こう」と答えて寝る。

朝のゴーンというのは毎朝6時に鳴る近所のお寺の鐘のこと。

すると長男が私の耳元で

「ごーん

ごーん

ごーん

昨日も帰宅は午前サマだったが

ダイニングに家内が開いて置きっぱなしにしていた

脳内汚染という本をつい読んでしまったりして寝たの2時半。 

 

それが結局今日も6時台の朝日を浴びながら

長男の自転車転がしを細目で鑑賞してしまった。

 

あんまり眠いので朝食のときに黙ってただ長女の顔を眺めていたら

「どうしてそんな目が細いの?」

と聞かれた。

返す言葉もなく目をさらに細めた。

 

明日は早く帰ろう!と最近毎日思ってるなあ。

2007年5月21日 (月)

<回答>塾選びのヒント

小6と中学の境目のときにはじめて通った塾は面白くて興奮した覚えがある。講師の手のうちで転がされただけなのかもしれないけれど好奇心をぐいぐいと引っ張り出されて、何かができるようになるとか身につくという手ごたえのようなものを体験したような気がする。子供にも授業があんな面白い塾に通わせたい。

 

逆にこんな塾には行かせたくないということであれば

「ハチマキ塾」(ハチマキを締めた絶叫調の塾)

「誤字脱字塾」(お知らせやチラシに誤字脱字が多すぎる塾)

などは行かせたくないなあ・・・。

 

これらは、小宮山博仁さんの著書「子どもの「底力」が育つ塾選び」の「こんな塾にはいかせたくない」という章にあるもの。以下、目次からの抜粋引用です。↓

相談に乗ってくれない塾
成績が下がった原因を子どものせいにする塾
懇談会や個人面談がない塾
計算プリントをもくもくとやる塾
電話のマナーが悪い塾
看板の出ていない塾
進路指導がない塾
お知らせが少ない塾
経営のことしか考えていない塾
学生アルバイトを多用する塾
友だちを入会させたらお金を出す塾
分教室をすぐ閉鎖する塾
できる子どもばかり集める塾
ハチマキを締めた絶叫調の塾
子どもを竹刀でたたく塾
学校批判をする塾
広告のチラシに難関校の合格者数しか出ていない塾
誇大広告をする塾
過剰な競争をさせる塾
おかしやお金で子どもをつる塾
授業が面白くない塾
お知らせやチラシに誤字・脱字が多い塾
私立学校との関係を強調する塾

 

「子どもを竹刀でたたく塾」というのもすごい。

 

「お菓子で子どもを釣る塾」というのはちょっとかわいい。(ほんとにそんな塾あるんでしょうか?)

こちらは自分として習いごとに通う楽しみの一つが帰りに駅でジュースを飲むことだったことだなあと思い出すにつけ若干身に覚えアリ。

 

小宮山さんといえば「AERA」2007年2月26日号「最後に勝つ塾選び」で記事になった「塾選び5か条」なるものがあるようだ。(流行りモノと気になるビジネス書のログ:小宮山博仁さんの「塾選び5か条」より)

小宮山さんの塾についての考え方の中で共感するのは、学ぶことそれ自体の面白さを重視しているところ。「なぜそうなるんだろう」というプロセスを端折ってテクニックを詰め込むのではなく、知的好奇心をめぐる純粋な喜びが子供の中に育ってゆくような環境を親としても用意してやりたい。

2007年5月19日 (土)

うな丼と子供の悲しい報道

昼にうな丼を食べた。

ちょっと奮発。

最近帰宅時間が遅く、睡眠不足で体が疲れていたようだったので。

そこのうなぎ屋は、最後の2口はダシを入れてのお茶漬けが推奨されている。

うまい。

ずず。

でも、そうして食べていたら背後からTVの報道。

大型スクーターのヘルメット入れに子供を押し込めた親の話。

レポーターが子供の視点からその再現シーンを克明に表現する。

・・・

うな丼食べているところじゃないような気になってきてしまった。

お店はご主人と奥さんの2人で切りもりしてたのだが

奥さんが独り言でTVでの報道を聞いてぶつぶつと文句をいいだした。

悲しくなって、うな丼屋を後にした。

うな丼屋を出たらカトリック系の幼稚園があってちょうどご飯を食べるとこだったのか一斉のお祈りの声が聞こえた

「おとうさま、おかあさま・・・・」

ちょっとだけ悲しさ持ち直して会社に戻った。

2007年5月18日 (金)

お母さんごめんなさい

会社の休憩時間に近所の公園にいったら子供の泣き声が空から聞こえた。

「お母さんごめんなさーい!」

どうやらマンションのベランダから聞こえてくるようだ。

あたり一帯に響き渡っている。

「お母さんごめんなさーい!

ごめんなさーい!

ごめんなさーい!

ゆっくり公園の中を一回りするうちに100回ぐらいごめんなさいを聞いた。

大丈夫か?

ちょっと心配になってしまったが、ルールに反することをしたらしっかり叱ることも大事。

そういえば自分もそんな風に子供のころ外に締め出されて泣いたこともあったような気がする。

でもいい加減、うちに入れてやればいいのになあ。

などと思いながら、公園を後にした。

がんばれ。子供。そしてお母さん。

2007年5月17日 (木)

棒切れ爆走2輪

朝、長男と公園でフリスビーをやっていたら

長男が落ちていた2メートルほどの木の枝を拾って使い始めた。

フリスビーをその棒切れで受け止めて「釣れた!」などと言っている。

 

自転車で帰るときに前のかごに棒を立てようとするが

棒が長くて大きいのでなかなかうまくいかない。

 

手伝って自転車の後ろに差し込んでやったら暴走族のようになってしまった。

 

喜んで爆走。

 

ここで思い切りやらせておくのがいいのか?

しっかりダメ出しをしておくのがいいのか?

 

そんなことを考えている間に走り去ってしまった。

ああ。

2007年5月16日 (水)

母の日のプレゼント~ターシャ・テューダー

実家の母に家内がターシャ・テューダーの本などをプレゼントをしたようす。

ターシャ・テューダーというのは絵に描いたようなガーデニング生活を送っているアメリカ人(かな?)のおばあさん。

 

母向けというよりは家内の夢か?

 

いろいろプレゼントはあるけれど、実家の母にはやっぱり孫の書いた絵や手紙が一番のよう。

2007年5月15日 (火)

家庭力というな

雑誌AERAで「家庭力というな」という見出しのつり革広告を読んだ。家庭の中での人材育成について国からの圧力が強すぎという論調のようだ。確かに家庭にばかりしわ寄よせがきてるのなら・・・なあ。 

 
先日人材育成の研修で講師の方が、仕事を増やしすぎて最近どうもなあ・・・と家庭で愚痴をこぼしたら達成感を味わうという時間をしっかりとるといいよと娘さんにレクチャーされたという。「こういうことについて塾で指導されているみたいで」とその講師の方がコメントされていた。

 
最近の塾ではモチベーションマネジメントについて指導がなされているのか・・・。

まあ、あたりまえかもしれない。

2007年5月14日 (月)

オヤ学提言

親学提言は差し戻しになってしまった。

オヤ残念。

国があそこまで家庭生活に踏み込めば

学級崩壊のような異常事態を収拾するのに効果があるかとも思ったのに。

節度のある対応に落ち着いてしまった。

2007年5月13日 (日)

満員終電

金曜の終電は満員電車になることがある。この間はつま先立ちで帰った。

 

満員電車といえば、図書館でビジュアルワールドアトラスという子供向けの地図百科事典を読んだら日本の欄で富士山と共に載っていたのは満員電車の写真だった。

日本名物満員電車。

朝のプラットフォームで満員電車に乗り込む人たちの争いを観光客と思われる欧米人が写真に撮ってるのを見たことがある。

局所的にだが観光資源にもなってる。

 

「日本へ行って満員電車に乗ろう」

 

アメリカ西海岸方面などの広大な土地に住む人たちに受けるかもしれない。

2007年5月12日 (土)

透明チリンチリン

長男の自転車のベルが壊れたので自転車屋に行ってきた。いくつも並んだベルのなかからこれがいいと息子が選んだのは透明なベル。中身の歯車が見える。

中の仕組みはどうなっているんだろうという子供ゴコロにヒットした様子。

そういえば子供のころ、自転車のベルをはずして中の歯車をのぞいたものだったなあ。そうしているうちにベルを壊してしまってたけれど。

透明なら面白いし中身を壊されることもないかな?

透明ものといえば最近は透明冷蔵庫もあるらしい。ドアを開けずに中身を確認できるという省エネ家電。

なんかないー?と子供が冷蔵庫を覗くということも少なくなりそうだ。

2007年5月11日 (金)

空き缶が落ちてたら

女子御三家の違いについてこんな小話があるそうですね。 

 

道に空き缶が落ちていたら

A校:拾ってゴミ箱にすてる

B校:考えごとに集中しているので気付かず通りすぎる

C校:缶で遊び始める

 

道徳か、思索か、創造か。

こうした校風の違いっていいなと思います。

どのような内容にせよ、それぞれの個性に自信をもてれば

個性の内容の違いによって相手を否定するのではなく、

自分とは異なるよさと認め合えるのではないかと思います。

2007年5月10日 (木)

「真のタフネスとしての教養」と「サバイバル・スキル」

気持ちのいいブログを読みました。

心も、頭も、体もちゃんと鍛えて、その結果として、人生の基礎体力の素地をこの時期に培ってくれたら、それでいい。オールラウンドな高学力や、スムーズな学歴エントリは、いらない。本人が、「こうなりたい」「あれをやりたい」という意欲に目覚めたときに、その足がかりとして学習への意欲をもち、目標達成のために努力できる人になってくれることのほうが大事だ。

私たちの考える「教養」って、そういう、真のタフネスのことなんだ。

手袋をさがす:「家庭教育」。 より)

「真のタフネスとしての教養」

最近どっかで似たような言い回しを読んだような・・・。

ああ、ホンマノオトさんの「サバイバル・スキル」だ。

海城はおもしろい授業を展開しています。4月というより、2月3月にすでにやっているようです。中学2年の各教室の掲示板にそれぞれクラスごとに40枚の写真が貼られ、「中学2年国語A『走れメロス