温暖化で沈む島国
「他の国の二酸化炭素が原因で島がなくなる。怒りを感じるが、だからといってどうしよ うもないだろう」
ウシのゲップで温暖化の記事にトラックバックを頂いた総合情報ニュース徒然草の記事。
故郷を捨てなくてはならなくなるなんて。高度成長期にみた、ダムに沈む村のニュースみたいだ。
「他の国の二酸化炭素が原因で島がなくなる。怒りを感じるが、だからといってどうしよ うもないだろう」
ウシのゲップで温暖化の記事にトラックバックを頂いた総合情報ニュース徒然草の記事。
故郷を捨てなくてはならなくなるなんて。高度成長期にみた、ダムに沈む村のニュースみたいだ。
朝の湖面に波が音もなく模様を作ってゆく様は美しいものです。
そんな波のことを思い出したのがこの間DVDで観た「君に読む物語」。
夕日あるいは朝日の中の冒頭のシーンでボートが作る波をカメラが追いかけるシーンがあります。
中学生のころ甲府に住んでいて、自転車でよく釣りにいきました。3時ごろ起きて暗い夜道を自転車でえっちらおっちら登ります。
盆地の北端を上がる途中に竜神池。これは名前からして神妙なところでただただ美しかったのですが何か釣れたという記憶がありません。
それから盆地の北端の坂を上りきったところに千代田湖という湖。貸ボートもあり釣り大会もあったと思います。
釣りのおやつと称して朝からカップラーメンを食べてたら、カップラーメンの何かが私の胃にヒットしたらしく猛烈な腹痛が。それ以来カップラーメンが苦手です。
そんな粗雑なことをやってたのに、静かな水面に音もなく進む波はきれいな風景として記憶に残っています。
春になったら子供と釣りをしに湖にいってみようと思います。
自分の子供の頃を振返ってもういちど小学生をやり直すとしたら失いたくない経験は何だろうか?という視点で考えてみましたの3回目。
○その3 「 喫茶店の木の格子窓に顔をつけて珈琲の匂いをかぐ 」
駅から家への坂道を登る途中にコーヒーの匂いを噴出す木の格子窓がありました。坂の途中なので喫茶店の排気口が、ちょうど小学生でも顔を近づけることができるぐらいの高さにあったのです。木の格子窓に顔をあてるとコーヒーの香りが漂ってきました。
「旅を通じて自分の既定の枠を広げる」というような経験に比べると、あまり役に立ちそうな気がしないし、自分としてもあまり思いだすことがありません。けれど些細なのに不思議に引っかかるもののひとつです。もういちど小学生に帰ったらあの木の格子に顔をあててみたいと思います。
このコーヒー格子窓を思い出すと他にも街の風景がするするするとひも付くように思い出しました。学校へ行く坂道を下るときに、途中にとまっていたフォルクスワーゲンの緑。冬はおでんやもやっている雑貨店のナカジマくんのうちはおでんの匂いがしてたこと。母と行った市場の入り口の金魚屋と、奥の漬物屋のガラスのフタなどなど。
明にコミュニケーションを交わしたわけではないけれど自分の中に無言で眠っているいろんな風景や街の匂いがあります。思い出すとその風景は止ってはいなくて匂いがしたり動いています。
先日子供と公園を歩いていると、おもむろに娘が抱っこをもとめてきました。抱き上げてやると、高いところに咲いていた梅の花を見たかったらしく近づけてやると鼻を寄せて梅のにおいをくんくんと嗅いでました。
こんなちょっとした経験は大きくなったら多くは忘れてしまうのでしょうが主人を静かに見守る大型犬のように子供の記憶の背景に静かに積もってゆくといいなと思います。
自分の子供の頃を振返ってもういちど小学生をやり直すとしたら失いたくない経験は何だろうか?という視点で考えたうちの2つめ。
○ その2 「 W先生のビンタ(あるいは燃える気迫) 」
ビンタで有名な先生でした。あ、ビンタされると思ったときにはもうビンタされてる。体罰どうこうというのはさておいて、大人の気迫を感じる瞬間でした。
とかくキアイの入った先生で、スーツはブランドもの、高級時計に外車。この先生の6年生のクラスからは麻布や開成など当時有名中に進学する生徒がとても多かったように思います。
先日メディアで写真をお見かけしたら、鼈甲のメガネが変わってませんでした。あの燃える気迫の目は今でも思い出すことができます。子供ながらにただヒステリックに起こっているのと、なにか真剣な芯の通ったところがある気迫というのは区別できたような気がします。子供もそんな真剣な先生との出会いが経験できればいいなと思います。
でもよく考えてみたら、もう一度小学生にもどってみすみすひっぱたかれるのはやっぱりイヤだなあ。
自分の子供の頃を振返って、もういちど小学生をやり直すとしたら失いたくない経験は何だろう?という視点で考えてみました。
そのうちのひとつ。
○「 T先生の理科の実験授業 」
T先生の理科のクラスは他の授業とはまったくやり方が違い、何かを教わるというよりは、実験して、確かめて、発見するというもの。先生がしゃべる時間はほんの少しです。
仮説を立て、生徒同士で意見を述べ合い、実験して調べ、その結果をノートに記します。
そんなの当たり前というテーマのものでも実験してみたら違っているという経験が鮮烈でした。
声を荒げることが皆無の先生でしたが、議論をするとき以外は大抵生徒はシーンしてました。たまに授業中に私語が続くと先生は黙ってしまってそのうち教室全体がシーンとなります。そのT先生の額には深い傷あとがあった。
T先生は小学生のための科学の実験の本も書かれるほど活躍された先生でした。先生の外見はブラックジャックみたいで恐ろしげでしたが本は暖かでやさしい装丁なのでちょっとびっくりしました。小学生に戻ったらもういちど授業を受けてみたいです。
子供も、良い先生と出会い、議論と実験で自分の目からうろこが落ちるような経験があればいいなと思います。
冬が暖かいのは過ごしやすくていいのですが、キリリと引き締まるような寒さがないのはつまらないだけでなくなんだか不気味。
温暖化といえば、ウシのゲップによる影響がなかなかバカにならないということを最近知りました。ニュージランドではヒツジのゲップ税が議会で審議されたとも。
ゲップを引き起こすメタンガスの発生を防ぐために酵母を配合した飼料の研究もされているそうです。
ラ・サール中学校の理科の問題で出てきた有蹄類の反芻、日常生活とはあまり関係なさそうと思っていたら、考えようによっては実はそうでもない。身近にある切実なテーマにつながってる。良い問題だなあ。単に深読みしすぎてるだけだったらごめんなさい。
ラ・サール中学校の理科の入試問題をやってからしばらく
私のアタマの中で
ウシやらヤギやらキリンやらが
もぐもぐやっているシーンが消えませんでした。
この問題、「奇蹄類」とか「偶蹄類」とか
コムズかしそうな漢字が出てきましたが
ようするにモグモグやっている動物はどれか
ということを聞いているのかな
と理解して回答したら合ってました。
こんな解き方でよいのかどうかよくわかりませんが。
受験会場で複雑そうな言葉が出ても
ビビらずアセらず戸惑わず
またその後モグモグやっているヤギを
アタマの中で飼ったりしない受験生が
良い成績を残せたのでしょう。
それにしても学生のころ、テスト中の静かな教室で
音楽がアタマの中で鳴り止まない
ということがあったなあ
それらの音楽はどちらかというと
くだらないメロディが多かったなあ
などと思い出されることです。
でもぐるぐると鳴り止まなかったのは
どんなメロディだったかというと
もう今では思い出せません。
おかしなことだなあと思います。
桐蔭学園中学校の国語の問題をやってみて思い出したのが、この間出席した幼稚園の保護者向けの講演会です。
「くるまでまつ」
と黒板に書いた講師の先生が、集まった父母にこの意味について質問したあとこう書き加えました。
1)「来るまで待つ」
2)「車で待つ」
漢字で書いたほうが意味がすぐ伝わるからカンタンということもあるという話しです。
この桐蔭の入試問題でも、カタカナをアタマの中で漢字に変換して照合するよりも
変換する前に意味的にイメージが重なるものを選択してみると結果的に合っていて簡単でした。
上記講演会で紹介されてたんですが、表意文字としての漢字を子供向けに紹介した本を読んで面白かったのが
「驚」
という漢字。
左上は座禅組んでいる人。
右上は座禅組む人を叩く棒を持った人。
下は馬。
座禅組んでる人を棒持った人が叩いて馬のようにびっくりするという・・・。
こういうアプローチなら子供も漢字を覚えやすそうです。
「オラんとこの爺さん 良い爺さん」
これは私が始めて習ったorangeのスペルの覚え方です。
oran(おらんとこの)g(じいさん)e(いいじいさん)。
中学に上がる春休み、はじめて通った塾の講習で習いました。
トナリの駅まで電車でいって夕方に始まって終わりは夜だった気がします。
中学から私立に通うという友達が春期間だけの塾に行くというのでつられて行くことになったというものだったはずです。
私は特に勉強する必要もない公立になんのギモンのなく進むことにしていたので別に塾に通わなくてもよかったはずだったんですが。
当時、遊びが脳内占有率100%で宿題も家ではやらず学校行ってからやってた私は
「中学受験なんて大変だなあ・・・かわいそうに」
などと思っていたはずです。
私の小6当時はごくごく一部の友達が私立に行っていたように思います。
でも今の世の中ではこうはいかなくなっているみたいですね。AKOママさんが
と書かれてましたが、うちの息子が来年通うことになる小学校も同じようなものらしいです。
近所のうわさを大げさにいっているだけなのかもしれないのですが家内いわくほとんど全ての子が中学受験するとか。
自分が小6だったころを思い出すにつけ小学校から中学校へはギャップが大きかったと思います。
新しく英語を勉強するとかクロの詰襟の制服になるとか中間試験や期末試験があるなど。
やり方が急に変わることに対して緊張していたはずです。
そのうえ受験ともなるとさちょっとした試練です。
ホンマノオトさんが
と書かれてましたが、自己決定の経験としては120%にシビアな経験になると思います。子供時代の終わりのはじまりというか。
編集部の記事にトラックバック下さったきりかさんの記事を読むとこのプロセス自体から何かを学ぶことができればとても良い経験になりそうですが。
うちはどうなることやら。
公立の小中一貫教育がウチの近所でも始まらないかなあなどと少々逸脱するような発想をしてしまいます。